もう2年、まだ2年

あの大震災から2年がたちました。
関西在住の私は、地震発生時は「なんかゆ~っくりと揺れている?」くらいの感覚でした。
直後に大津波警報が発令され、東北にいる3人の友人の安否が気になりましたが、その時点ではすでに連絡が取れる状態ではありませんでした。
一人は、地震で家の中のあらゆる物が散乱し、電気、ガス、水道が全て止まり、家族を連れて宮城県の南部から山形・新潟経由で関東の実家に避難しました。この友人とは地震直後に共通の友人が連絡を取れており無事であることが確認できており、また関東へ移動途中も断片的に伝わってきたので安心でした。公共交通機関が全て止まり車しか移動手段がない中、途中で給油できるかどうかわからない状況はかなり不安だったそうです。
一人は、宮城県でも震源に最も近いところであろう海辺の街で働いていました。この友人についても地震直後に連絡を取れた共通の友人から無事である連絡がありました。ところがそれは津波が襲来する前の情報でした。津波が到達した後は、彼がいる地域の情報は当初の数日間は全く報道されず、その後報道されるようになった時は街の半数の人が行方不明だというものでした。地震からちょうど1週間後、この友人が勤めている会社の人たちは全員無事だという情報をネットで発見。その翌日、緊急応援で宮城に行っていた友人が本人に会うことができてようやく安心できました。
一人は、地震からちょうど2週間後にようやく無事が確認できました。岩手県の海辺の街に暮らすこの友人は避難する途中で津波に呑まれ、たまたま目の前に流れてきた流木に掴まり九死に一生を得たとのこと。携帯が水没して誰かに連絡しようにも連絡先がわからない、おまけに地震から数日間は連絡する手段もなかったとのこと。内陸部にようやく移動し、たまたまそこにインターネットに接続できる環境があり、一か八かで送ってあった私のメールを見れたとのこと。
今日現在、15882人の方がお亡くなりになり、未だ2668人の方が行方不明のままです。そして31万人以上の方が避難生活を続けれれています。
ありきたりのことですが、この大災害から何を学び、教訓とするか、そしてそれらをどのように生かしていくか。
また、災害に遭ったときのための準備を普段からどれだけしておくことができるか。
最近では1995年の阪神淡路大震災、そして2004年の中越地震の時に教訓とされていたことがいつの間にか風化していたかもしれません。
 
災害は必ず起きる、でも備えをきちんとしておけば最悪の事態は防ぐことができるかもしれない。
個人レベルでできること。救援が来るまでの数日間をしのぐための水と食料。季節によっては防寒具、情報を得るためのラジオ等々。
 
イメージ 1
この写真は宮城県女川町の、震災から4ヶ月後の様子です。中央に見えるビルは横倒しになっています。撮影したのは4階建てビルの屋上に相当する高さの場所からですが、この場所に避難してきた人も津波に呑まれてしまったそうです。